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machi column

VOL.01 「幸せのかたち」

住宅を設計し始めて二十五年以上経ってしまいました。
昨年十二月に終わったテレビのドラマを見ながら「幸せのかたち」について考えてしまいました。
主人公の主婦が友人の夫の死体を自分達夫婦のマイホームの浴室で解体してしまうところから始まったドラマでした。
(原作は桐野夏生のアウトです)

登校拒否をしている子供と企業戦士で会話のない夫の留守に淡々とその作業を終えてゆくその家は、標準的な住宅の中、彼女の友人役である渡辺エリコの家のような悲惨な住宅ではない。
お互いの顔をみなくても暮らしてゆける家のかたちに問題があるとは言い切れないが、会わなければ相手のことなど考えなくても良い。
家族の心がばらばらになってしまえば家という「箱」は、何の意味もない。
常にお互いの存在を確認し合い、皆向き合って生きてゆくための家をかたちとして提案するばかりです。無力です。この彼女の孤独を救うことはできない。ドラマの中だけの問題でなく、今住宅の中は孤立しているのではと考えてしまう。

私の家は祖父も父も大工さんで、大勢の職人さんと共に暮らしていて、賑やかな家でした。
駅裏の私の町は戦後最初の区画整理のお陰で皆一区画が小さく、家々が立ち並び集まっている所です。
私は、近所の家によく遊びに行き、どの家でも年下も年上も関係なくいっしょに遊び、私の家の庭は裏の家の庭に続きその家の路地を抜けると裏の道に出る事ができ、どこの家も簡単な垣根で仕切られ、小さな私たちは抜け道をいっぱい持って、その日の気分次第で、風のように遊びました。よく屋根に乗って、屋根伝いに遊んでいて近所のおじさんに怒られた事など、楽しい思い出です。プライバシーなぞありません。
今では、考えられない「境」のない家々は、私たちの最高の遊び場でした。

個々の権利や義務を守ることはこの契約社会では、大切なことです。が、隣人との関係を良好に保つことは逆に難しくなります。

仲良く地域で暮らす事をこの辺で、皆で考えていくことが、孤独な老人や不安な若い主婦を生まない暮らし方ではないでしょうか。そのような地域計画を一つ一つの住宅を計画しながら提案することが私のできる未来の子供たちへ、遺してあげられる「幸せのかたち」ではないかと思います。
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